冬の寒さが和らぎ始めた2月の終わり。
「もうすぐ春だなって感じですね」そう話すのは、置田千尋(おきた ちひろ)さん。
ふわりとした声と話し方から、優しい印象を受けます。
専門学校を卒業してからずっと、歯科技工士として働いてきた千尋さん。
昨年から、好きなカフェで働きはじめました。
転職のきっかけは、Focus&Journeyの管理人である大野理恵さん(以下、ハピさん)と高山亜希子さんが開催した「書と写真の二人展」でカフェのお手伝いをしたこと。自分が作ったケーキや淹れたコーヒーを「人が美味しいって言ってくれて、嬉しかった」、それが今につながっていると言います。
「自分には何もできない」そう思っていた過去から、「やりたい」と思う道を選んだ今にいたるまで、お話を聞かせていただきました。
「自分にはこれしかできない」と思っていた
ー今はカフェの店員をされていますが、前は歯科技工士として働かれていたんですよね。
「はい。歯医者さんの中にある『技工室』っていうところで、患者さんの仮歯とか金歯を作ったりしてました」
ー器用じゃないと難しそうなお仕事ですよね…。昔から細かい作業が好きだったんですか?
「好きでしたね。もともと物作りが好きだったんですよ。技工士は、母に『こういう職業あるけど』って言われて、楽しそうかなと思って」
ー実際、歯科技工士になってみてどうでしたか?楽しかったですか?
「最初は大変でした。でも楽しい時もあったし、自分で何か考えながら作ったりするのが好きだったので、一人で色々研究してやれたのは良かったのかなって、今は思います」
ーずっと歯科技工士をされていたんですか?
「19年、同じところで技工士をやってました」
ー長いですね!途中で嫌にならなかったんですか?
「人付き合いがすごく苦手だったから、他のことはできないだろうなって思い込んでたんですよね」
ーでも、辞めたい気持ちはどこかにあったんですね。
「私をすごく否定する院長だったから。良いことも言ってくれたらよかったけど、悪いことばっかり言われて。だからちょっとね、きつかったかなあ」
勇気を出して転職をしたけれど…
ーとは言っても、19年働いた場所を辞めるって、なかなか大変なことですよね。
「確かにそう。転職したこともなかったし、今から違うところでできるのかなあってすごく思ってて。でも、40歳になる年だったかな。今辞めなかったら、もうずっと辞められない。違うところにも行けないなって思ったんです」
ーそれで思い切って転職を。
「はい。違う歯科医院に転職しました」
ー歯科技工士というお仕事は続けられたんですね。
「やっぱり『他のことはできない』って思ってたから。それと、ずっと一人だったから自分を試したこともなくて。もうちょっと上手くなりたい、場所を変えたら何かが変わるかも…と思ったのもあります」
ー違う病院で働いてどうでしたか?
「周りの人たちがすごくいい人たちだったんです。いいところを見つけてくれる人ばっかりで、人って優しいんだと思って。
『私、これやりたい』とか『こういう風にしたい』とか、言ってもいいんだって思えました」
ー良い職場環境だったんですね。
「でも、直属の上司が前の院長に輪をかけてすごくて、昔の職人みたいな人で。手順が分からないから聞くと『何でそんなこともわからないんですか!』って怒られたり」
ーそれは辛いですね…。すぐ辞めなかったんですか?
「19年もいたところを辞めて新しいところに来たから、何かここで得ないと思って。でもこの上司といたら、ネガティブになるだけだなと思って半年で辞めました」
「ちょっと変わりたい」がきっかけ
ーその歯科医院で働いている時に、Focus&Journey(以下、フォーカス)と出会ったんですね。
「そうです。ハピさんとは、3~4年前に他の講座で会ったことがあって。 だから、フォーカスの存在は知ってたけど、その講座の時に感じた思いが残ってて、どうなんだろうって」
ー講座で何を感じたんですか?
「その頃、自己否定がすごく強かったから『変わりたい』と思ってて。それで講座に参加したんだけど、他の参加者さんが経営者の方とか、なんかすごい人ばっかりで。『みんなすごい。私には無理…』ってなっちゃって」
ーそこから入会へ気持ちが向いたきっかけは?
「ハピさんが、切り絵の個展を見に行って、それに触発されて『写真展します』って書いてるのをFacebookで見て、すごいなあって。私も見に行ってすごいと思ったけど、行動はできなかったんです。ハピさんは動き出してすごいな。それに比べて私は全然動いてないな、しかも職場こんなんだし…って」
ー動きたいという気持ちが、千尋さんの中にあったんですね。
「ちょっと変わりたいなって思って。フォーカスの『1ヶ月無料体験できます』っていう案内を見て、一度試してみようかなって」
「美味しい」と言ってもらえるのが嬉しくて
ーそのお試し期間中に、大きな経験をされたんですよね。
「ハピさんが写真展(『書と写真の二人展』)をカフェでやったんです。そこで『飲み物とお菓子担当やってみない?』って声をかけてもらって。そういうことができるんだって思って」
ーカフェでは何をされていたんですか?
「料理は料理担当の人がいて、私はケーキと、コーヒーとかの飲み物担当でした」
ーなぜその担当をすることになったんですか?
「お菓子作りが前から好きで、よく友達にあげたりしてて。
あと、夫がドリップコーヒーがすごく好きで、私も触発されて毎日淹れてるんですけど、夫以外の人にも飲んで欲しくなっちゃって。そんな話をしたら、ハピさんが『コーヒーも淹れられるし、いいじゃん』って、すごい言ってくれて」
ーケーキは当日、千尋さんが手作りされたんですよね。
「はい。まだ技工士をしてたので、前日の仕事が終わってからできるのは何か色々考えて。本当は、何種類か作りたい思いはあったけど、ガトーショコラだけにしました」
ー実際にカフェをやってみていかがでしたか?
「すごく楽しかったんですよ。接客するのが楽しかったし、自分が作ったものをこんなに美味しいって言ってもらえるんだって。嬉しかったです」
口から出す言葉って大事だという気づき
ーそのカフェをきっかけに、フォーカスへ入居されましたが、今どんな変化を感じていますか?
「自分がやりたいと思うことをやって、人に喜んでもらえるんだって思った。今までそんなのできないって思ってたし、やらなきゃと思ってやってたことが多くて。すごく否定的だったから。カフェの話の時も最初『できない!できないよー!無理!』ってすごい言っちゃって、私」
ーそれは自信がなくて?
「そうですね。でも『できないできないって言ってると、そっちに行っちゃうよ。そんなに言わないで』って、一緒にカフェを運営していた料理担当の人に言われて。私がマイナスなことを言うことによって、周りにも影響があって、悪い空気になるんだって、その時すごく思いました」
ー今までは、なんとなく言っていたんですね。
「今まで、そういう風に言ってくれる人が周りにいなかったから。私が発言すると嫌な顔されるなとか、悪い方向に進むなっていう思いはあったんだけど、なんでそうなるか分からなかったし、私がダメなんだろうなって思っちゃってた。でも、みんなが嫌な顔をしたり、人が私に寄って来なくなるのは、私がマイナスなことを言うせいなのかもって。ハッとなった」
ーそこからはマイナスなことは言わないように?
「言わないようになったし、私ってすっごいマイナスなこと言っちゃってるんだって、気付くようになりました」
ー変わりましたか?
「うーん。そうですね。集まってくる人が変わったかも。良いところをすごく見てくれて『こういうところがよかった』とか『ありがとう』とか、ちゃんと言葉にする。ダメなこともちゃんと言ってくれる。そう言う人が集まってくるようになりました」
ー口から出す言葉って、大事ですね。
「うん。本当に、そうですね」
「やってみたら?」に、怯みながらもチャレンジ
ー管理人との「対話コーチングセッション」は、どう活かしていますか?
「ハピさんと話すことで、自分が分かることがあったりします。でもたまに『これやったらいいんじゃない?』って提案されて『えー!』って思う時もあります(笑)」
ーたとえば、どんなことですか?
「『新しいケーキ販売してみたらどう?』とか。人にあげるのは好きだから、ケーキを作ってあげてたりしてたけど、販売ってなると『えーーっ』て(笑)。
あと『Facebookに載せてみたらいいんじゃない?』とか。私がやったこととかを。でも私、今までそういうのを公開したことなかったから『えー、怖いんですけど…』って。誰かに何か言われたらどうしようって。でも『ケーキがもっと売れるかもしれないじゃない?』『何も起きないわよ、大丈夫』ってハピさんに言ってもらって。そうかぁ、確かになぁ、私が妄想してるだけだもんなぁ…って」
ーそれで、実際にフォーカスの中でオリジナルケーキの販売をされたんですよね。
「はい、そうですね。美味しいって言ってもらえて、すごく嬉しいです」
ー他の入居者さんとの関わりについては、いかがですか?
「色々な意見を聞けるのがいいですね。あと、私が話したことに『私も』って共感してもらえることで、私だけじゃないんだって気がついたり。あと1週間に一度にある朝礼で、先週どんな1週間で、今週どんな1週間にしたいですかって聞かれるから、ああどうだったんだろうって自分を振り返るのもよかったりするかな」
ー振り返るタイミングがないと、日々は過ぎていきますもんね。
「そうそう。立ち止まって振り返る機会があるのはいいですね」
歯科技工士からカフェの店員へ
ー写真展での経験がきっかけで、今はカフェでアルバイトをされてるんですよね。歯科技工士の時と比べていかがですか?
「楽しいです。お客さんの顔を見られるのが楽しいなって」
ーコミュニケーションが苦手だと思っていたのに、その変化はすごいですね。
「うん。今もまだ、どういう風にしたらいいか分からないっていうのはあるんですけどね。お客さんが喜んでくれた時に、嬉しかったら嬉しいって言えばいいんだけど、その感情が自分でよく分からない時があるから、ああどうしようって焦っちゃう(笑)」
ーカフェでは、お客さんとお話されるんですか?
「そのお店、接客メインのカフェなんです。ひとりひとりに合わせた接客が売りのカフェで。会話をすごく重視してて。私、それがとっても苦手だから(笑) なんでここにしちゃったんだろうって(笑)」
ーそれはハードルが高いですね…(笑) どうしてそのお店で働こうと思ったんですか?
「居心地が良くていいなあと思ってたお店で。コーヒーもドリップで淹れてるし。
そしたら『お菓子を作るのが好きな方、バイト募集してます』って書いてあったから、『お菓子作りもしてるんだ』と思って。興味があったので入ってみました」
ーお菓子作りもできるんですね!もう作りましたか?
「まだです。接客で精一杯で。でも『今度お菓子作ってみる?』って言われてます」
ーそれは、楽しみですね。
自分も周りもハッピーになったらいいな
ー今は、何をしてる時が一番楽しいですか?
「フォーカスで販売しているケーキの試作で、自分の思った通りの味ができたりとか、ドリンクで自分が思った通りの味ができたりとか、そういう時がすごく楽しいかな。『できた!』みたいな」
ーケーキの試食は、ご主人も一緒にされているんですよね。
「そうそう。夫は食べるのが好きな人だから『この間のはこうだった』とか、『今日のは甘さが強すぎる』とか言ってくれて」
ー心強いですね!
これからどうしたいとか、夢はありますか?たとえば自分でカフェを開いてみるとか…?
「それね、最近思うんですよね。自分が作ったものを食べてもらうのが、私のしたいことなのかなって。ちょっと思って。でも、本当にできるのかどうか分からないし。すごく大変すぎて無理って思うかもしれないし。だから今は、自分の能力を最大限に活かして、周りもハッピー私もハッピーで、ぐるぐる回っていい方向に行けたらいいなって思ってます」
さいごに
ずっと「自分には技工士しかできない」と思っていた千尋さん。
「やってみたら?」という言葉をきっかけに、小さな挑戦を一つずつ積み重ねてきました。初めてのことに挑戦するのには、勇気が必要です。
千尋さんも「そんなの無理…」そう怯みながら、でも勇気を出してやってみたことで、新しい自分や新しい世界に出会えました。
心のどこかに眠っていた「自分が本当にやってみたいこと」に、気付くこともできました。そして今、カフェの店員という新しい仕事に就き、さらにオリジナルケーキの販売にチャレンジもされています。
作ったケーキを「美味しい」と言ってもらえるのが嬉しい。だから、何度も何度も試作をして、納得できる味でお届けする。千尋さんが作るケーキはきっと、千尋さんみたいに優しくあたたかい味がするんだろうなと思います。
自分が作ったケーキやコーヒーで、みんなに喜んで欲しい。
いつかは、自分のカフェという場所ができたら。
まだ動き出したばかりのこの夢が、これからきっと、たくさんの人を笑顔にするのだろうなと思います。
インタビュー・文 岡田知子
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